GarageHRS のシャッターの前に立つ平山義弘

ふつうのクルマ好きのひとりです

GarageHRS の実績が先行して、ランエボチューンやサイバーエボで名が通っている「すごいチューニングSHOP」というイメージで思われているかもしれませんが、私自身はふつうのクルマ好きのひとりでしかありません。

「速いクルマは美しい! 壊れず速いマシンを作る、そして速さだけでなく人それぞれのスタンスで車を楽しむ」をモットーに、クルマ好きのみなさんに喜んでもらえるような仕事をしたいと思っています。HRS と一緒にカーライフを楽しみましょう。

プロフィール

名前 平山 義弘(ひらやま よしひろ)/ブログでは Hira@HRS
いま GarageHRS 代表/ジーバート横浜 代表
学校 大学で機械工学を専攻
前職 日本ラヂエーター(のちのカルソニック)で、クルマの吸排気部品の設計エンジニア、全社の電算システムの企画・設計(約15年)
得意なこと 車のチューニング全般(トータルバランスのファインチューン)
いま練習中 ドライビングの腕を磨き直し中
好きなクルマ 軽くて、コンパクトで、パワフルなクルマ(ランエボ、ロードスター、ロータス エリーゼ、スーパーセヴン)
いまの愛車 マツダ NB ロードスター
大事にしている言葉 一隅を照らす。そしてなくてはならない人になる

チューニングショップの代表でありながら

実は私は整備士の免許を持っていません。

機械工学科の大学を卒業して、自動車の部品メーカーに就職したサラリーマン時代、自己啓発を兼ねて 3級ガソリン整備士の通信教育を受けてちゃんと卒業。

あとは試験さえ受ければよいだけの知識と経験があったのに、あまりにも忙しく、結局試験を受けないまま放置してしまったのです。どうして無理してでも取得しなかったのかと後悔もありますが、そういう詰めの甘いところが自分らしいというかダメなところかもしれません。念のため、言い訳すると今から受ければちゃんと合格するはずだと思ってます。

逆に今の自分が胸を張って言えるのは、吸排気部品設計を15年、そしてGarageHRS時代を含めてトータル40年以上、ずっとクルマと向き合ってきた経験です。そして HRS には、国家資格を持ったスタッフがいます。自分ひとりではなく、チームでお客様のクルマを預かっています。

排気ガスの甘い匂いと、自転車と、兄

父は日産自動車の技術者でした。最初はルパン三世の銭形警部が乗っているようなクラシカルなブルーバード、次は510ブルーバード。排気ガスの甘い匂いが好きでいつもクンクンしていて怒られるような子供でした。晴海の東京モーターショーにも毎回父に連れて行ってもらってワクワク。幼少期からずっと日産車が身近にある環境で育ちましたので、10歳上の兄も大の車好き。そんな兄がある日突然ヨタハチ(トヨタスポーツ800)を買ってきて、日産勤めの父が大激怒して勘当騒ぎに!それがどう許されたかの記憶はありませんが、真っ赤で小さなスポーツカーの、バタバタという音とオープンエアの心地よさがすっかり刷り込まれてしまいました。

小学生のころはスーパーカーブーム。みんなはフェラーリやランボルギーニでしたが、自分はなぜかロータス・ヨーロッパやディノ、ランチア・ストラトスに惹かれました(このころからコンパクトなライトウェイトスポーツが好きだったみたいです)。中学生のころには、新聞で発売前の初代 RX-7 を見て「大人になったら絶対手に入れる」と決めていました。

ところが高校に入ると、興味はアウトドアと自転車へ。「サイクルスポーツ」や「山と渓谷」を読みあさって、専門工具を揃えて、自分の自転車を全部バラして組み立てるところまでやっていました。メカをいじる面白さは、クルマより先に自転車で覚えたのかもしれません。

高校生だったある早朝、兄に叩き起こされて連れて行かれたのが、電気通信大学の学生ラリーでした。ゼッケンを貼って、助手席のラリーコンピューターを頼りに、がたがた道を一日中走る。何が起きているのかよく分からないまま、表彰式で最年少参加者として紹介され賞までいただきました。自動車部の顧問の先生から「こんな若い時からモータースポーツに接するなんて、将来は車業界で活躍するかもしれない」と声をかけてもらったのですが、当時はまったく実感がありませんでした。

見た目は普通のサニーが、一番速かった

兄から譲り受けた PB210 サニー大学生になって免許を取っても、クルマは「お出かけできればいい」くらいの感覚でした。そんな自分に兄が「免許を取ったならこの車をやる」と譲ってくれたのが、PB210 サニー。見た目はずんぐりした変哲もないセダン、音はうるさいし、あっという間にスピードが出て怖いだけで、その価値がまったく分かりません。ですが友達のフェアレディZ やスカイラインと出かけると、自分のサニーが圧倒的に速い。「お前の車、なんでこんなに速いんだ」と言われて、兄に話すと大森スポーツコーナーで 1800cc にボアアップされて、SUツインキャブが付いた隠れチューンドカー。そこから「何だろう」と興味が湧いてきました。

そんなことがあり、自分でもクルマいじりをしようと安い工具セットを買ったものの、固いボルトがどうしても外れない。SHOPに泣きつくと、メカニックのお兄ちゃんがあっさり外してくれた。その人が使っていたのがSnap-on の工具。プロのメカニック、かっけーっ!スナップオン すげーっ! カーライフに目覚めていきました。

そのころの自分は、ただ速さ・パワー・ドライビングスキルを追い求めていました。とにかくお山の大将でいたかった。でも結局、仲間内では速くても、上には上がいる。腕を磨くためにジムカーナの世界を少しかじって、そこそこ上位には入るものの、速い人には全然追いつけませんでした。

当時の手書きのノートが、いまも残っています。コースの図、タイヤの空気圧、タイム、そして「フルターンで荷重移動をさせないとうまくいかない」「急にパワーをかけすぎてロスが多い」。何が足りないかを書いて、次に変える。やっていることは、いまクルマに向き合うときと同じでした。

1980年代の手書きの走行ノートとコース図 走り方のメモを書き込んだ手描きのコース図 鋸山ヒルクライムの認定証とギャラリーパス

軽くて、小さくて、速いクルマをずっと乗り継いできました。PB210 サニー、B11 サニーターボ、ファミリア、そしてスーパーセヴン BDR スペシャル。ランエボ3、ランエボ4RS と乗り継いで、エボ4の時代に脱サラします。その後もランエボ8、ロードスター、ロータス エリーゼと、大排気量ではなく、コンパクトで軽くてパワフルなクルマばかりです。

B11 サニーターボ ファミリア スーパーセヴン BDR スペシャル

図面を引くのが楽しかった。そして、自分で作ってみようと思った

カルソニック時代の工場の構内で時系列は前後するけど、大学を卒業、車への興味から日本ラヂエーター(のちのカルソニック)に就職し、排気系の設計部に配属されました。ドラフターで図面を引くのが主流の時代で、エンジニアとして図面を引くのが、ただ楽しかった。時代は日産の 901 運動のころで、U12 ブルーバード、Z32、P10 プリメーラ、R32 GT-R と、名車が次々に生まれていました。

新入社員のころ、実験部隊に入っていたシルビア 240RS の「ゴヴァッ ゴヴァッ」という吸気音に衝撃を受けて、「あんなスーパーマシンのマフラーをこの手で設計したい」と思ったのが、いま思えば HRS の原点です。(コラム「シルビア240RSとGarageHRSの原点」)

まだ若くてエネルギーが余っていたころは、仕事をしながら夜な夜な箱根へ走りに行って、そのまま家に帰らず会社の駐車場で仮眠を取って出勤する、なんてこともやっていました(今ではとてもできなくて、すぐ眠くなります)。

閉まったドライブインと、パイロンを並べた駐車場の跡もう30年以上前の話です。クルマにパイロンを積んで、伊豆スカイラインの途中にあるドライブインの駐車場へ。パイロンを並べて、夜な夜な運転の練習をしていました。当時の伊豆スカイラインは、夜になるとクルマがほとんど通りませんでした。今なら即通報案件だと思います。でも山奥の駐車場や埠頭の広場で練習してお咎めがなく済んだ おおらかな時代でした。先日箱根へ行く機会があり久しぶりに行ってみると、そのドライブインは閉まって廃墟になっていました。パイロンを並べたあの駐車場も、ひび割れて草が生えています。

勤めていた横須賀・夏島町の事業所は、いまはもうありません。そのことは「時代は巡る」というコラムに書きました。

2025年7月の夏島町の事業所 2026年8月、工事が進む事業所の跡

サラリーマン時代、横須賀の長浦港の倉庫を借りて、週末になるとクルマをいじっていました。当時感じたのは安心して愛車を任せられる店は少ない。じゃあ、自分が思い描く理想のショップを作ってみたらどうだろう。HRS をはじめたのは、そんな動機からでした。

会社員時代に借りていた長浦港の倉庫と青い車庫 取り壊しが始まった長浦港の倉庫 いまの長浦港の倉庫

そして奥さんにも言わずに会社を辞めて、金沢区六浦の小さな倉庫を借りて仮営業を開始(これは今では伝説の笑い話です)。トタン貼りの掘っ建て小屋で、スタッフは自分だけでした。

六浦の仮営業時代、テントの下での作業 いまの六浦の跡地の近く

約1年後、都筑インターのそばに店を開き、1か月後には工具専門店のファクトリーギア都筑インター店も一緒にオープンしました。誰でも気軽に来られる雰囲気、確かな作業、威張らず偉ぶらず車いじりの楽しさを伝える。この3つが、そのときからの HRS の原点です。

開店前の都筑インターの店の建物 開店の夜の GarageHRS とファクトリーギア 都筑インター時代の作業場

速さを追いかけた日々

アメリカのオーバルコースを走るサイバーエボランエボの HRS デモカー、そして故・滝沢さんと一緒に取り組んだサイバーエボのタイムアタックカー。無名のころ、筑波で1分を切ることを目標に掲げて笑われたこともありました。さんざん速いクルマに乗って、雑誌にも毎月のように載せてもらい、アメリカやオーストラリアにも遠征しました。現地では「Mr. HRS」「Mr. ランエボ」と呼んでもらって、いまでも交流が続いている仲間がいます。

いちばん暗かった日々と、一通の手紙

再起の象徴の不死鳥の像2012年、チーム CyberEVO として WTAC に挑戦したあと、自分は働きすぎで体調を崩し、3年強ガレージを閉めたことがありました。

そんなとき、九州の古いお客様から一通の手紙が届きました。HRSに何度か立ち寄ったけれど閉まっていて心配してる。また関東出張の予定があり会って話ができたらという内容が綴ってありました。

たかだか ちっぽけなチューニングSHOP のために 遠方から何度もガレージを訪問したり、手間もかかるのに連絡先を調べてわざわざ手紙を送ってくれたり、いったい誰がそんなことをしてくれるでしょうか? HRSの力になりたい!その人と会って クルマに対する情熱を失っていた自分の中に小さな炎が灯り、ガレージを再開することができました。その手紙は今も僕の宝物です。(コラム「一通の手紙 ~宝物~」)

ひとりでは、なにもできない

幼少期からわんぱくだった自分。問題を起こすたびに小学校の最初の2年間の担任の先生にいつもかばってもらいました。その先生とは小学校を卒業してからもずっと交流が続きました。社会人になり、結婚の報告をしに行ったときのこと。「昔からいたずらっ子だったけど、わたしが体調崩して具合悪そうにしてた時、『先生だいじょうぶ?、これでおでこひやしたらすぐなおるよ』ってじぶんのぞうきんを濡らし渡してくれてるようなとてもやさしい子だったのよ」。会うたびいつも聞かされる昔話に、それを受け入れた先生こそ優しい、と僕は思っています。(自分はずっとこれを笑い話としてとらえてましたが、実は30年以上たってから隠された意味があったことを知ったのはまたの機会に)

社会に出て入社式の講話で「一隅を照らす」という言葉に出会いました。お金や財産ではなく、自分の置かれた場所で精一杯努力して輝くことが宝である。この言葉が心に強く響きました。「なくてはならない人になりなさい」。それを胸にGarageHRS を運営しています。(コラム「一隅を照らす」)

自分はひとりではできない平凡な人間です。ですが人と人の縁をすごく大事にしています。どんな相手にも礼節と敬意をもって接するようにしています。そしてその縁が紡いでまた新しいことが広がっていく。たくさんの仲間やお客様に支えられ、同業のライバルでありながら、影に日向に応援してくれる人たちがいます。うまくいったことも、大失敗も含めて、そういう人たちのおかげで、ここまで来られたと思っています。

性能に頼っていたと気づいて、いまも

いまの愛車 NB6C ロードスターHRS デモカーやサイバーエボのタイムアタックカーで、さんざん速いクルマに乗っていた当時の自分は、いつの間にかドライビングの腕よりもクルマの性能に頼ったスタイルになっていました。記録を連発したのもそのころです。

歳を重ねた今でも速いクルマは大好きですが、命を削るような速さとは反対の、心地よさや安心感。AT 仕様の NB6C ロードスター(やロータス エリーゼ)など、アンダーパワーでも気持ちよく走るクルマの魅力にも改めて気がつきました。そして久しぶりにサーキットのスポーツ走行をしてみたら、思い通りにクルマを操れず、愕然としました。当時速く走れると思っていたのは、クルマの性能のおかげだったのです。

原点回帰。若いころドライビングを磨いたころに戻って、広場トレーニングからやり直しです。性能に頼った乱暴なドライビングから、基礎に戻って走りこむと、当時とは違った世界が見えてきました。いくつになっても終わりはありません。

クルマの楽しみ方は、ひとつじゃない

GarageHRS は、チューニングショップとしてスタートしました。速く走ることへの憧れ、サーキットでのタイムアップ、理想のクルマづくり。長年、そんな世界を追いかけてきました。

でもお店を続けるうちに、クルマの楽しみ方はひとつじゃないと気がつきました。サーキットでタイムを削るのが楽しい人もいれば、お気に入りの一台を20年、30年と乗り続けたい人もいる。だから HRS は、カーボンクリーンや ATF の全量交換、そして錆止めにも取り組んできました。チューニングショップなのに錆止め?と言われたこともあります。壊れてから直すのではなく、壊れる前に守る。それもまた、クルマを楽しむことだと思っています。

速さを求める、けれどもそれだけではない。人それぞれの価値観でカーライフを楽しんでほしい。HRS はそのお手伝いをする存在でいたい。それが当時からの思いです。

受け継いでもらうために

30年以上通っているラーメン屋さんが代替わりしたのを見て、ふと自分のことを考えました。「代がかわったらなんかかわっちゃったよね」とがっかりされるのは避けたい。今から HRS のスピリットと技術や経験をしっかり継承して、自分が運営している今より、もっとお客様に喜んでもらえるお店にしていきたいと思っています。(コラム「永福町 大勝軒」)

いまの愛車は、古くなってきましたが、よい感じに整備して手を入れて、長く乗り続けたい。クルマのことなら、整備やチューニング、錆止めなどなど、気軽に相談してください。

速くする。長く守る。そして、とことん楽しむ。

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