時代は巡る

HRSを立ち上げる前、日産自動車系列の日本ラヂエーター(のちのカルソニック)、吸排気系の設計部門で働いていました。

勤務地は日産追浜工場の隣 横須賀市夏島町。 近くに八景島シーパラダイス、運河をはさんだ対岸には野島公園(戦時中に造られた掩体壕が今も残っています)があってバーベキューや潮干狩りができたり、海の公園の花火大会がよく見える風光明媚な場所です

朝から晩まで働いて、今で言うならブラック職場。モーレツな勤務環境ではあったけれど、先進の欧米自動車メーカーに追いつけ・追いこせ! エネルギッシュで勢いがあり、高度経済成長の中で日本が輝いていた時代でした

部品開発の現場に身を置いた約15年、クルマに関しての知識を身につける貴重な経験、のちにHRSを運営する礎となりました

経営者としての知識はまったくないのに、勢いだけで会社員をやめて、ガレージHRSを始めた自分でしたが、チューニングの仕事はやりがいに溢れ、速いクルマを作ることに没頭してあっという間の25年。振り返ってみるとまさに激動の時代。親会社だった日産自動車がルノー傘下になったり、三菱自動車もまさかの日産グループに。そして日産は現在進行系でまた未曽有の経営危機に陥っている。

入社当時 日本ラヂエーター→カルソニック→カルソニックカンセイ→マレリと移り変わる中で2度の経営破綻。我がふるさと カルソニックの追浜工場も昨年 事業所閉鎖となり、なにに生まれ変わるのか 工場は解体?・事務所棟も工事中でした

慣れ親しんだ場所がなくなってしまうのは寂しいです。自分が社会に出たのが 1985年。追いかける存在だった米国 自動車ビッグ3が転落したり、日産自動車やカルソニックがこんな状況に陥るなんて、当時の自分は夢にも思わなかったこと

HRSも何度も経営危機があり、お店を畳むことが頭をよぎりました。なにくそっ!負けてたまるかっ!! そんな時でも離れず自分を支えてくれる人たちのおかげで、自分を奮い立たせここまでやってきました

順風満帆なだけの人生なんてありえない。人や組織の真価が本当に問われるのは、絶対絶命のピンチになった時。どん底に落ちたとしても、そこから立ち上がって前に進めばいいのです

日産自動車も、現マレリもこのまま沈んで終ることなく、また輝かしい栄光の時代を築いてくれると信じてます

頑張れ、日産! 頑張れ、マレリ! 自分もHRSを未来に繋いでいくため頑張ります